ひらりろぐ。

心にもない言葉より沈黙

町の風

私の町、

私の道、

思い出は、ここにくれば在る。

 

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あいみょんの『風のささやき』という曲を聴いていたら、どうしても来てみたくなった道。不思議だな、その当時はまだその歌を聴いていなかったのに。なのに思い出すなんて。

彼女の声は、ずっと昔の記憶にもふわっとリンクする。

 

そしてね、だんだんと日が暮れて暑さも和らいでくると、周囲がオレンジと紺にくるまれて、すこし厚ぼったい空気があって、記憶のなかの私が着ていたブラウスやプリーツのスカートのはためく感触が、さわっと肌を触ったように感じた・・・

というのは都合がよくまわりすぎているかなア。

別の物語のなかのひとたち

道を歩いていて、ひととすれちがうとき、このひとも誰かの胸を焦がせているのかもと思ってひどく感動することがある。私にとってはただの通りすがりだけれど、誰かにとっては、こんな風にすれちがう瞬間さえ願われているひとなのかもしれない。そのひとの魅力を知らずに私は通り過ぎるだけで。そして私のなかにもまた、会いたい顔があるわけで。

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通過

国道に沿ったそのガソリンスタンドはいつもラジオを流していて、一期一会の出会いを日々、くれるなあと思っていた。

 

信号待ちのあいだだけ、

意識せずとも耳に入ってくるのは、もう二度とは聴けない音楽であり、話であり、それらが風景のひとつに溶け込んで同じ風のなかに飛ぶ。

 

捜せば面白いと思うことは、沢山あるのだろうな、こんなガソリンスタンドのように。

 

 

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コープが見えるだけで、ものすごい生活感でしょ??

くちずさむラララ

イヤホンのなかに

隠したくなってしまう思い出

 

みんな自分のなかに思い出をもつように

歌をもっているなあと思う。

 

映画や本は、月日が経つにつれて、自分の経験によって、そのたびに印象が変わるものだけれど、歌だけは時間がそのまま真空パックされているようだ。

その歌を聴くと、当時の自分、まるでなにもなかった自分の影に引き合わされて、結局まだそこから進んでいないかもしれないと思わせる。ただ、それは決して後ろ向きなことではなくて、それは決して戻ることのないものだと今の自分が学んだから、歌といっしょに当時を大切にしようと思えたんだ。

 

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いいこと思いついた

クラス替えのたびに、「あきこちゃん?」と呼ばれて、「しょうこです」と返すのにうんざりしていた私は平成6年生まれ。

 

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自分の名前は一発で呼んでもらえなくてめんどうだな、なんて思っていたけど、自分の名前を好きになるのに15年、自分の今に納得できるようになるのに24年かかった。

 

そう思えるまでに出会ったすべてのひとに、もう一度揃って顔を合わすことはもはやないのだと、それは分かっているけれど、どこかで出会ったなら、彼らはきっと、私を「しょうこ」と呼んでくれると思うよ。

 

平成に撮り溜めた思い出を

平成の終わりに現像して

『平成』のミニアルバムを一冊つくろう。

ねころんで夢をみる

夢は、様々にかたちをかえて、常にそばをついてくる。

 

あるときは空の色になって、移り変わる心や時間の経過のことを意識させて、ここに感じたものを書けと促すし、

 

あるときは口遊む懐かしい歌になって、あの頃の自分と重ねて見せようとする。

 

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日の目をみるとか、みないとか言うけど、

夢はそもそも灯りになっていて、

自分から発光しているはずなんだ、わずかでも

 

こんなことを考えて、救われるならまだいい