父が定年退職する。
いつも通りの終業時間のあと、いつも通りの道を帰りながら、よくすれ違う自転車のおじさんと、例によってすれ違ったとき、「あ、お父は最後の仕事から帰ってくるんだろうな」と、きゅっと肌に擦り込まれるような気持ちで思い出した。
朝、私の部屋をすこし覗いて「最後の日、行ってくるわ」と、片手をあげて出て行ったお父にも、きっといたはずだ、こんなふうに通勤ですれ違うひとが。
知り合うことのないままに、すれ違い続けるひとのいる道をあとにするときは、ひとつの時代がたしかに終わるようなものだ。
その時間帯のその場所でのみすれ違い続けるひととは、そのうち、なんの言葉もなしに二度と会うことはなくなる。
だけど私たちの日々は、そんなひとたちの時間と一緒に流れているのだな。誰かにとっては私も、日々の背景なんだ。
その道をあとに、お父は花束と帰ってくるだろう。
おつかれさまでした。
高校生の日の9月
私、すごく好きなひとがいて、
高校時代はそのひととの出来事を逐一ブログに書いていたんだ。バカだったから。
ひらりろぐ時代よりも前、なにかそれっぽいブログ名をつけて、憧れてた名前をユーザー名にしたりして。ほんと、バカだったから。
で、そのバカさ加減って、ほんまもんのやつじゃないか、と、大学生になって目が覚めて、削除したんだ。
で、今となっては、どうしてそれを消したんだろうと思っている。それもまたバカじゃないか。ようやく消したのに、それさえも悔やむなんて。思い出したいわけでもないけど、そこに書きつけたときの、むさぼるような心情は、もう二度とそのとおりには帰ってこない。
思い出すつもりもなかった午後に、風が、なんだか秋みたいで遠回りをした。
こんな日は、高校三年生のころの私が通り過ぎていくみたいだった。そして今できるのは、バカだったなと、鼻歌でも歌ってみることだけだ。
スポンジボブさんとの日々
前カゴにのせていると、こんなふうに花を見ていたりする、かわいいボブさん
これをつけて、まったく私のリュックはこどもみたいだぞ・・・と思いながら23歳を突っ走っているところ