ひらりろぐ。

心にもない言葉より沈黙

父が定年退職する。

いつも通りの終業時間のあと、いつも通りの道を帰りながら、よくすれ違う自転車のおじさんと、例によってすれ違ったとき、「あ、お父は最後の仕事から帰ってくるんだろうな」と、きゅっと肌に擦り込まれるような気持ちで思い出した。

 

朝、私の部屋をすこし覗いて「最後の日、行ってくるわ」と、片手をあげて出て行ったお父にも、きっといたはずだ、こんなふうに通勤ですれ違うひとが。

 

知り合うことのないままに、すれ違い続けるひとのいる道をあとにするときは、ひとつの時代がたしかに終わるようなものだ。

 

その時間帯のその場所でのみすれ違い続けるひととは、そのうち、なんの言葉もなしに二度と会うことはなくなる。

だけど私たちの日々は、そんなひとたちの時間と一緒に流れているのだな。誰かにとっては私も、日々の背景なんだ。

 

その道をあとに、お父は花束と帰ってくるだろう。

おつかれさまでした。

 

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ひかり

木陰の曲がり角を抜けた道には、目をつむってしまうほどの陽があたり一面にこぼれていた。

両側に同じような一軒家が静かに隣り合っている、左右対称のその道には私以外にはひとがいなくて、そこで、私ひとりくらいは簡単に消してしまえるほどの強い陽にぶつかったのだ。

夏がもういないことに気付いた。
夏の陽の落ちかたとは違うものだった。

遊びつかれた思い出たちに、ひとつ線を引くような光だ。

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高校生の日の9月

私、すごく好きなひとがいて、
高校時代はそのひととの出来事を逐一ブログに書いていたんだ。バカだったから。
ひらりろぐ時代よりも前、なにかそれっぽいブログ名をつけて、憧れてた名前をユーザー名にしたりして。ほんと、バカだったから。

で、そのバカさ加減って、ほんまもんのやつじゃないか、と、大学生になって目が覚めて、削除したんだ。

で、今となっては、どうしてそれを消したんだろうと思っている。それもまたバカじゃないか。ようやく消したのに、それさえも悔やむなんて。思い出したいわけでもないけど、そこに書きつけたときの、むさぼるような心情は、もう二度とそのとおりには帰ってこない。


思い出すつもりもなかった午後に、風が、なんだか秋みたいで遠回りをした。

こんな日は、高校三年生のころの私が通り過ぎていくみたいだった。そして今できるのは、バカだったなと、鼻歌でも歌ってみることだけだ。


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帰途の坂を登る

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出かけたあと、帰途のもの惜しさだ。
そのころにはもう、あたりは静かになりかけていて
いい具合に疲れたひとの波があり
オレンジ色がある。

そのころにはもう、朝、いさんでドアを閉めたときの足どりや
色や景色は遠い一日のように感じられてしまう。

そして次の朝には、思い出話のように
昨日の話をするんだ。

消しごむもいろいろ

消しごむほど、愛着のでるものってないと思う

 

小さくなってきたらケースも切って合わせていくので

”MO”だけになってくるといよいよ可愛い

よう働いたなあ と、めでたくなる

 

彼らが欠けたぶん、私は何かが書けたということだ

なんていじらしい姿

 

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夏の涼みかた

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目を引くであろう上部中央に描くものが高確率でうまくいかないというのが、あるある。

 

茶屋ののれんなんだ。パンツじゃなくってさ。

 

涼しいものを思い出しての涼みかたもあるのよって

言いたかったのだけどねえ。

 

どうしてもパンツに見えるからひっかかる。

まあパンツでいればそれがいちばん涼しいだろうけどねえ。