ひらりろぐ。

心にもない言葉より沈黙

ほんとうに寂しくなったときには

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

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開けることのできないペンケースがある。銀色の缶のペンケースは錆びていて、とてもきれいではない。
それは今年の七月にもらった、おばあちゃんのペンケースだった。

彼女は小さな部屋で、いつもキャンパスノートを広げては、一行や二行の日々の記録をつけていた。
私が部屋を訪ねると、それを見ながら、いついつは誰それが来てな・・・と話したり、笑ったりしていた。
そして私も頷いたり、笑ったりしていた。

彼女にはそんなキャンパスノートが何冊も何冊もあった。
そのそばには缶のペンケースと、ちびた鉛筆がほそぼそと彼女の日々を語った。


おばあちゃんが亡くなったのは、今年の七月だった。
豪雨から打って変わって、緑が目に痛いほどの晴れた日に、斎場からのバスに揺られていた。ほかの親戚もみな黙って、ただ静かに並木が窓に映るのを、そしてそれが過ぎていくのを眺めていた。あの静けさは、きっと緑の眩しさのためだっただろう。


そのあと、わずかに落ち着いてから私が欲しいとねだったのが、缶のペンケースだ。
けれどもそれが、私の真っ白い部屋にあると、全く馴染まない。あの部屋でなくては、あの古いノートの隣でなくては。

そっと蓋を開けると、その小さな部屋の匂いがした。
あ、おばあちゃんちの匂いだ・・・

その匂いが逃げてしまうのが惜しくて、それきり開けることができなくなった。


大切なひとを亡くしたとき、ひとはいつから笑えるようになるのだろうとずっと考えていた。ひとはどうして涙をとめて、笑うことができるのだろうと。

けれども今は、以前の自分よりもたくさん笑うようになったと感じているほどだ。はじめはそれが不孝者のようで、後ろ暗い気がした。
それにもかかわらず、私は笑うことが増えた。

それはたぶん、彼女のおかげでもある。
きっと彼女は、私の暗い顔を望むわけがないということ。
そして、ほんとうに寂しくなったときにだけ、ペンケースを開けることにしようと、それがお守りみたいに効いているのだ。

ひかり

木陰の曲がり角を抜けた道には、目をつむってしまうほどの陽があたり一面にこぼれていた。

両側に同じような一軒家が静かに隣り合っている、左右対称のその道には私以外にはひとがいなくて、そこで、私ひとりくらいは簡単に消してしまえるほどの強い陽にぶつかったのだ。

夏がもういないことに気付いた。
夏の陽の落ちかたとは違うものだった。

遊びつかれた思い出たちに、ひとつ線を引くような光だ。

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なにもないけど

アルバムなんて感傷なのだと思った
文化祭のお祭り騒ぎや、あんな卒業写真でさえ

だけどそこには、過去のまだない、生まれたての笑顔があって、それだけは価値のあるものだと思う
そのときにしかない表情が、あの子にも私にもあった
一度きりしかない時期の、一度きりの自分だった


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私の高校の近くには河川敷があって、浜もあって、水の透明さを感じさせる風に乗って日々はやってきた。勉強するにしても、ただのおしゃべりにしても、時間を忘れて夢中だったことと、西の陽の傾きは、人生のなかのどんな一場面より、素直な目線でいた自分が映る。

高校生の日の9月

私、すごく好きなひとがいて、
高校時代はそのひととの出来事を逐一ブログに書いていたんだ。バカだったから。
ひらりろぐ時代よりも前、なにかそれっぽいブログ名をつけて、憧れてた名前をユーザー名にしたりして。ほんと、バカだったから。

で、そのバカさ加減って、ほんまもんのやつじゃないか、と、大学生になって目が覚めて、削除したんだ。

で、今となっては、どうしてそれを消したんだろうと思っている。それもまたバカじゃないか。ようやく消したのに、それさえも悔やむなんて。思い出したいわけでもないけど、そこに書きつけたときの、むさぼるような心情は、もう二度とそのとおりには帰ってこない。


思い出すつもりもなかった午後に、風が、なんだか秋みたいで遠回りをした。

こんな日は、高校三年生のころの私が通り過ぎていくみたいだった。そして今できるのは、バカだったなと、鼻歌でも歌ってみることだけだ。


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ひとりっこ

若い母が、写真のなかで明るい服を着てピースサインなんかしている。
自転車を脇において、仲間とずらっと並んでいる。
わたしなどまだ影もなく、わたしのことなど考えていない母の笑顔。

だけど今日みたいな地震の朝、母はあのころの仲間の安否のことなどつゆも気にしないようすで、携帯さえ手にしなかった。ただ、仕事に行かなくてはならないと出かけるわたしに、気をつけて気をつけてと、何度も言った。
わたしが母の世界になってしまったんだ。

そして、わたしにしても同じことではあるんだと思う。仲の良いひとたちのなかでの笑顔は、きっと今だけのもので・・・

帰途の坂を登る

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出かけたあと、帰途のもの惜しさだ。
そのころにはもう、あたりは静かになりかけていて
いい具合に疲れたひとの波があり
オレンジ色がある。

そのころにはもう、朝、いさんでドアを閉めたときの足どりや
色や景色は遠い一日のように感じられてしまう。

そして次の朝には、思い出話のように
昨日の話をするんだ。

消しごむもいろいろ

消しごむほど、愛着のでるものってないと思う

 

小さくなってきたらケースも切って合わせていくので

”MO”だけになってくるといよいよ可愛い

よう働いたなあ と、めでたくなる

 

彼らが欠けたぶん、私は何かが書けたということだ

なんていじらしい姿

 

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