少女漫画なんて嫌いだと、
少女漫画なんて嫌いだと思っていた。
10歳前後で出会ったそれらは、私に夢を与えたけれど、実際に訪れた教室での日々は良いことばかりではなかったし、好きなひとにはそもそも彼女がいるもので、私を好きだと言ってくれるひとのことは好きじゃなかったりした。そんなふうに自分の心しだいで平気でひとを傷つけて、もちろん傷つけられた言葉もあった。
けれども、今また少女漫画と再会して、その色にとんとはまってしまっているのでした・・・
過ぎ去ってきたから美しく見えて、いくらでも美しく語ることができるけれど、それはやっぱり、少しずつ忘れていっているからかもしれない。
少女漫画の主人公と同じ歳だったころのことは、上に書いたとおりだと思ったから書いたけれど、本当は、そんな風にまるっとまとめられるわけがない。あの時間軸のなかの私は、いつかこの日々がまとまって見えてくることなんて知らなかった。
なのに私は、ああいう一行でまとめて納得できてしまうんだ。
そしてそれがちっとも苦しくないんだ。
ちっとも。
私のなかの宙ぶらりんたち
ブログって、実は下書きこそ面白かったりして・・・
ひとの目に触れるほどの言葉じゃないからと、そのままもう出ることのない言葉たちの待ちぼうけ感とか
続きのつながらない言葉、飲み込んでしまった言葉のいじらしさ
そんな言葉がひとのなかにはどれだけあるだろうな
そういうのが多いひとほど、やさしいかもしれないな
私、自分がやさしいと言っているんじゃあないよ。
私はわりとなんでも言うんだ。
だけどたまには飲み込むときもあって、そんなときは少し落胆しながら、それでいてどこかホッともしちゃう。
電話をしたい相手がつかまらなくて、そのままにしちゃうときとか。ちょっと、ホッとするでしょ。やっぱり声を聴くと、色々思ってもないことをそれらしく、きれいに聴かせようとか、しちゃう。
だからこそ、電話がすれ違ったり、呼び止められなかったときは、心にもない言葉より沈黙だ、と、思うようにしている。
父が定年退職する。
いつも通りの終業時間のあと、いつも通りの道を帰りながら、よくすれ違う自転車のおじさんと、例によってすれ違ったとき、「あ、お父は最後の仕事から帰ってくるんだろうな」と、きゅっと肌に擦り込まれるような気持ちで思い出した。
朝、私の部屋をすこし覗いて「最後の日、行ってくるわ」と、片手をあげて出て行ったお父にも、きっといたはずだ、こんなふうに通勤ですれ違うひとが。
知り合うことのないままに、すれ違い続けるひとのいる道をあとにするときは、ひとつの時代がたしかに終わるようなものだ。
その時間帯のその場所でのみすれ違い続けるひととは、そのうち、なんの言葉もなしに二度と会うことはなくなる。
だけど私たちの日々は、そんなひとたちの時間と一緒に流れているのだな。誰かにとっては私も、日々の背景なんだ。
その道をあとに、お父は花束と帰ってくるだろう。
おつかれさまでした。
ほんとうに寂しくなったときには
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
▫❅▪▫❅▪
開けることのできないペンケースがある。銀色の缶のペンケースは錆びていて、とてもきれいではない。
それは今年の七月にもらった、おばあちゃんのペンケースだった。
彼女は小さな部屋で、いつもキャンパスノートを広げては、一行や二行の日々の記録をつけていた。
私が部屋を訪ねると、それを見ながら、いついつは誰それが来てな・・・と話したり、笑ったりしていた。
そして私も頷いたり、笑ったりしていた。
彼女にはそんなキャンパスノートが何冊も何冊もあった。
そのそばには缶のペンケースと、ちびた鉛筆がほそぼそと彼女の日々を語った。
おばあちゃんが亡くなったのは、今年の七月だった。
豪雨から打って変わって、緑が目に痛いほどの晴れた日に、斎場からのバスに揺られていた。ほかの親戚もみな黙って、ただ静かに並木が窓に映るのを、そしてそれが過ぎていくのを眺めていた。あの静けさは、きっと緑の眩しさのためだっただろう。
そのあと、わずかに落ち着いてから私が欲しいとねだったのが、缶のペンケースだ。
けれどもそれが、私の真っ白い部屋にあると、全く馴染まない。あの部屋でなくては、あの古いノートの隣でなくては。
そっと蓋を開けると、その小さな部屋の匂いがした。
あ、おばあちゃんちの匂いだ・・・
その匂いが逃げてしまうのが惜しくて、それきり開けることができなくなった。
大切なひとを亡くしたとき、ひとはいつから笑えるようになるのだろうとずっと考えていた。ひとはどうして涙をとめて、笑うことができるのだろうと。
けれども今は、以前の自分よりもたくさん笑うようになったと感じているほどだ。はじめはそれが不孝者のようで、後ろ暗い気がした。
それにもかかわらず、私は笑うことが増えた。
それはたぶん、彼女のおかげでもある。
きっと彼女は、私の暗い顔を望むわけがないということ。
そして、ほんとうに寂しくなったときにだけ、ペンケースを開けることにしようと、それがお守りみたいに効いているのだ。